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M女性がSMを楽しみたい、もっとその世界を知りたいと思っても、なかなかその一歩を踏み出すことは難しいのではないでしょうか? そんな貴女のためのコミュニケーションブログです。

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ダダの金槌 ~SM観の破壊の果て~
「俺にとって、Sであることは生き方だ。SMは生き方だ。そう結論した」

新月のパーティチャットの中で、伊達君は言った。彼は新月で知り合った40代の男性で親しくさせて貰っている。

(まぶしいなぁ…)

僕は、彼の若さをバカにするわけでもなく、そう言い切ることができる彼がうらやましかった。彼はいい奴。M女性たちの信頼も厚い男…、ストイックなまでにSとしての生き方を追求する、そう…“漢”と書いて“おとこ”と読む…そんなタイプだ。

彼が冒頭の言葉を語ったのは、それまで何日か、けっこうな時間、彼とSM論を語り合っていたとき、その多様性や差異をお互いに認めつつも、自己言及するとしたら、という文脈で出てきた言葉だった。
先に僕は、

「所詮、SMっていうのは、性癖であってそれ以上でもそれ以下でもない。そういう考え方もあっていい」

という醒めた考えを披露した後に、彼が応えたのだった。まぶしいなぁ…と僕は感じ、それとともに、自分のSM観の変遷を思い出していた。


■僕のSM観の変遷

僕のSMの嗜好は、プロフィール、性遍歴でも述べたように、もともとのストイックで社会にコミットした生き方への破壊衝動から生まれたものだと自己分析している。つまり社会的、宗教的な道徳観、倫理観、それに伴う生き方に対するそれはアンチテーゼであった。

ある命題があって、はじめてアンチテーゼというのが成り立つものである以上、それは命題がなければ成立しない。つまり僕にとってSMがアンチテーゼとして誕生した以上、SMはその命題である社会や宗教と共存可能、いや共存することでしか、成立しないというのもこれまた事実。つまりその両方があってこそ意味があったのだ。

だからこそ、僕は恋愛の中で、SM的な支配関係を成立させられた。

僕は恋愛の中で、破壊衝動を女性にぶつけることで自分を解放した。つまり僕にとってSMは自分を解放する手段となった。そして相手がそれを受け入れることで、SMはコミュニケーションの方法となった。

それに共感する相手が現れて愛し合い、一緒に生きていくことで、当時、SMは僕の生き方となった。しかし彼女を失い、その充実感から離れたとき、SMは自分を解放する手段、コミュニケーション方法ではあったが、単なる性癖へと変貌した。

そんな風に、自分のSM観が変化していく中で、人それぞれのSM観を尊重し、その多様性を認める程度の柔軟性を僕は身につけていったが、逆に今、またそのこと自体を破壊しようとしている自分に気がつくのだ。


■正しいSM嗜好者の群れの中で

「SMにおいて、相手との信頼関係は絶対必要」

チャット仲間の女性が、こんなことを言う。いや、その女性に限らず、まじめにリアルでSMを嗜好している多くの人がそう語る。これはリアルSMにおいては、ほぼ正しい認識だ。

しかしここ数ヵ月、そんなまじめで質の良いSM嗜好者に囲まれて、どっぷりとその世界にはまっていた僕は、今度はそれを破壊したい衝動に駆られるのだ。

「SMは実は奥が深い…」

くだらない…。

「SMは高尚な愛の形…」

嘘をつけ…。

元来、SMはもっと暴力的で、自己陶酔的非人間的なものではなかったのか? そんなSM原理主義的な考えが頭をよぎる。相手との信頼関係などいう予定調和の中のプレイになんの意味があるのか?


そんな風にSMを実社会のルールと同様な道徳観、倫理観を当てはめていくことで、SMが本来持っていた人間の中の衝動や不条理なまでの攻撃性、性悪性を陳腐化、あるいは様式化させていないか?
 そんなことすら考える。

僕は真面目で正しいSM嗜好者に囲まれて、すこし居心地が悪くなっているのかもしれない。たぶん、こんな風に考えている僕の頭の中を理解してくれる人は少ないだろうと思う。みんなそのリアルの中で悩みながらも、正しい方法を見つけてきたのだから。

寄生獣(岩明均)の最終回、ミギーは言った。

「しばらく眠りにつこうと思う。今、自分の中にある情報だけで、いろいろ思考を試してみたいと思うんだ…」

なんとなく彼の気持ちがわかる。僕も、この数ヵ月で得た情報を、まったく外界と遮断された自分の頭脳だけでこねくり回してみたい衝動に駆られる。だが、この混沌と矛盾の情報の嵐の中に身を置くことで、より自分を鍛えることにも惹かれている。実はこれも、自己破壊への欲求だったりするのかも知れない。



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(2010/01)
『寄生獣』(きせいじゅう)は、岩明均によるSF漫画作品。講談社・モーニングオープン増刊にF号(1988年)からH号(1989年)、月刊アフタヌーンに1990年1月号から1995年2月号にかけて連載された。
1993年第17回講談社漫画賞一般部門受賞、1996年第27回星雲賞コミック部門受賞。

謎の寄生生物と共生することになった、平凡な高校生の数奇な運命を描く。
物語の発端となる異変は全世界で起こり、人間の頭に寄生して人間を食べる『寄生生物』側、最初は捕食されるがままであったが後に反撃に転ずる『人間』側、そしてその中間者として存在する『新一とミギー』側という三者の構図が成立するが、話の焦点は日本の一高校生である新一に置かれる。
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■SMのダダイズム的破壊

天の邪鬼な破壊衝動は、今度は僕のリアルSMを破壊しようとしている。アンチテーゼであるSMが、独立してその世界を構築し確立してしまえば、それを破壊せずにはいられない。そんな狂気が自分の中にまだあったとは…。

昨日、1年2ヵ月ぶりに、ひとりのM女性を抱いた。彼女は、結婚前に浴衣の紐で手を縛ったことがあるくらいのほぼ未経験者。結婚して10年、燻(くすぶ)り続ける彼女のM的な願望を満たすべく僕は、彼女を縛り、従属を誓わせ、彼女をMとしての官能へと導いた(と思う)。この女性との詳しい経緯(いきさつ)は、いずれ別の形で…。

でも、そんなプレイの中で、僕が求めたのは、はたしてSとしての充足感だったのか、それとも…。

実はわからなくなってしまった。

人妻…。その言葉に僕はなんの思い入れもないし、むしろ避けていた。割り切ったつきあい…、元来そういうのが得意なわけでもない僕だが、それでも僕は今の自分なら、大人として行動できると思った。いやこれも、自分の今までの行動様式を破壊したかったのかもしれない。

その結果、僕がなによりも彼女に求めたのは、彼女のその愛らしい声だった。優しく甘い声、そして感傷的な口吻(くちづけ)。そしてぬくもり…。たぶん、一番欲しかったのは、彼女の心…。それがSとしての支配欲からくるものなのか、あるいは、愛を求めてのものなのか、それはまだわからない。この関係の先は予測が得意な僕にとってもまったくの未知…。

さて、ダダイズムよろしく、すべての社会的、道徳観、倫理観を破壊し、リアルSMのルールも価値観をも破壊し、その破壊の跡に僕は何を見つけるのだろう…。純愛か、はたまた狂気か…。意外にそのふたつは、同じものだったりするのかもしれない。


ダダイスム

1910年代半ばに起こった芸術思想・芸術運動のことである。単にダダとも。第一次世界大戦に対する抵抗やそれによってもたらされた虚無を根底に持っており、既成の秩序や常識に対する、否定、攻撃、破壊といった思想を大きな特徴とする。ダダイスムに属する芸術家たちをダダイストとよぶ。

ヨーロッパのいくつかの地方やニューヨークなどで同時多発的かつ相互影響を受けながらその流れは発生した。「ダダ」という名称は1916年にトリスタン・ツァラが命名したため(辞典から適当に見つけた単語だったとも言われる)、この命名をダダの始まりとすることもある。



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止揚
道徳観、倫理観がテーゼで、破壊観、破滅観がアンチテーゼだとすると、
もしかして「SM」という行為は二つの極論を成立させるアウフヘーベンということも考えられるかも。難しくてわかんないや^^;
りんこ | URL | 2012/03/28/Wed 17:40 [編集]
すかっとさわやかコカコーラ
ヘーゲルの言うところの止揚(アウフヘーベン)に当てはまるかどうかは、わからないんだけど、僕の場合、破滅型な発想とはちょっと違うかもしれないなぁ…。そんな危険な香りは漂わせてないでしょ(笑)。そんなデカダンなものとはちょっと違って、あくまでも再生を目的として、破壊をしている…なのでダダかな…。

アウフヘーベンという言葉には、その二極的なものから、新しい価値の創造が感じられるけど、僕が破壊の中から見つけるものは、たぶんそんな新しいものではなくて、もしかしたら、当たり前のもの… そんな気もします。

詳しい話は、ちょっと次回に譲るけど…二極というほど、SM的なものが、大きい存在だとは実は考えていません。そうやってSMを持ち上げることをどっちかっていうと嫌う発想ですね。
つまりSMは単なる破壊のための道具、つまり金槌です。それがどうやら僕のスタンス…。


その意味では、僕はずっと前向きでさわやかな男ですよw
すかっとさわやか…(笑)
尚人 | URL | 2012/03/28/Wed 18:19 [編集]
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まとめteみた.【ダダの金槌 ~SM観の破壊の果て~】
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まとめwoネタ速suru 2012/03/28/Wed 16:01
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まとめwoネタ速suru 2012/03/28/Wed 16:01
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まとめwoネタ速neo 2012/05/05/Sat 22:08
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